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コラム

■2009年5月~2010年4月

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コロサイの信徒への手紙2:7

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 保谷教会の誕生日がもうすぐきます。保谷教会は1936年活動していた高円寺から現在地に移転した東京老人ホームの一室からはじまりました。この集会が1953年5月12日教会組織が認められ日本福音ルーテル保谷教会が福音宣教の拠点として誕生しました。
 初代牧師は1923年9月関東大震災後直ちに始まった被災者救済活動(当時麻布のスペイン公使館敷地内を借用老人救護と母子収容計画に着手)がスタイワルト先生や東京老人ホーム初代施設長の松永チマ先生と協力し推進された東京教会の本田伝喜先生です。
 キリスト教会にとって第二次世界大戦戦前・戦中は国策のもとで困難を極めた大きな試練期でした。しかし、宣教拠点としての東京教会とのきずなは損なわれることなく強められ、盲点となていた福祉活動は続けられていきました。主なる神さまのみ手の支えによるものです。そして戦後復興期を共に担い礼拝が続けられ、地域の方々の参加を与えられ教会形成へと導かれたのは東京老人ホームの松永チマ先生はじめスタッフの皆さんの信仰と東京教会の交わりとご奉仕によるものです。
 保谷教会はいくつかの大事な節目を重ね経験し成長してきました。今年は56歳の誕生日となりますが、熟年から老年へと年を重ねるものであありません。主イエスによって日々新しくされ、み言葉に生きた私たちの信仰の先輩方の証の歩みを感謝し覚えたいと思います。それは「キリストに根を下ろして造り上げられた」祭司の民の歩みです。

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アモス書7:14

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 旧約聖書にアモス書という文書があります。やがて読み終えますが毎日少しづつ通読するように組まれた聖書日課で読み進んできたところです。アモスはおよそBC760年頃活躍した預言者です。アモス書の冒頭の言葉によると、「牧者の一人」と紹介されており、7:14にあるように「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ」と記されています。
 「預言者」は選ばれて神さまの言葉を預かり人々に語り伝える働きを担う者です。アモスはその預言者集団のメンバーではありませんでした。そのアモスに神さまは「行って預言せよ」と声をかけられたのです。社会は公平と正義を失い弱肉強食の社会的罪と偶像を拝し倫理的に荒廃する宗教的罪の闇が包んでいました。飽食の中で神さまのみ言葉の飢饉です。アモスは神さまの審判を告げたのです。所謂起訴事実とその判決です。
 大事なことは、審判の背後に「わたしを求めよ、そして生きよ」と呼びかけ、回復に向け「悪を憎み、善を愛せよ、正義を貫け」と励ます主のみ言葉です。罪の贖いの十字架を担う神の恵みと愛の招きではないでしょうか。アモスの預言活動は自分から進んで行動したものではありません。また自信をもって応募したのでもなく「一介の家畜を飼う者」として自らの貧しさを告白し、ただ神さまの呼びかけに応えた信仰による確信、神信頼の姿勢です。
 私たちもアモスと同じように自らの貧しさを知っています。信仰弱く力も才能も技術も時間も十分ではありません。ないものばかりに気がつき自信がありません。しかし神さまが呼びかけ用いてくださることには信頼して応えたいと思います。アモスの姿勢に万人祭司の姿勢を教えられます。

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ペトロの手紙一2:9

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 保谷教会の一日修養会が5月17日(日)主日礼拝に続いて開催されました。今回のテーマは「万人祭司性」ということで、昨年秋に継続して設定されました。総合司会は大谷兄、発題は岡本姉・三五姉・古財兄が順によく準備された内容で話され、続いて三つのグループに分かれて話し合いました。最後に再度一堂に会し、各グループで話し合った要旨を報告共有しました。午後3時半一応閉会し自由参加による「どん亭」での夕食の交わりで終了楽しい有意義な一日修養会でした。
 「キリストのゆえに、無代価で義とされたすべてのキリスト者は信徒の交わりに与り霊的祭司とされる」とルターがいうとき、ただ神さまの愛と恵み以外のなにものでもないという確かな信仰に基づいた告白でした。主イエス・キリストにおける神の恵みを信じ、み言葉によって生きるところに「祭司性」があることを共に学びあい、こうして共に「祭司性」を生きている、生きて行こうと語りあったひと時でした。
 保谷教会ホームペイジのコラムでご奉仕する機会を与えられて一年になりました。まず保谷教会に働く神さまの恵みを共有したいと思い、保谷教会の歩みを宣教史として見て来ました。創立期から60年代かかるころエネルギーの主役石炭が石油に交替し大きく時代の流れが変わり「断絶の時代」と表現した学者もいました。「激動の時代」とも言われました。人々の考えや生き方や社会の機構や組織が変わりましたが成長する教会の歩みはどうだったか、そこに変わらない神さまの力強い支えと導きの確かな絆を感謝のうちに覚えます。
 次に教会の特別伝道集会・修養会・葬儀記念会などの内容や報告性のあるものです.教会の行事として互いに神の恵みと励ましを分かち合いたいと思いました。またこのホームペイジを開いた方々に、教会の沿革や定期集会案内とあわせ、動いている保谷教会(聖徒の交わり)の姿を紹介できたらいいなと思いました。これからも貴重なお声に耳を傾けながら共に歩みたいと願っています。

(牧師 古財克成)

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コヘレト3:11

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 1859年の横浜開港を記念する行事が行われていますが、日米間の通商を開こうと1853年6月3日、琉球(沖縄)を経由し浦賀に来航した黒船は当時日本社会にとっては大きな衝撃でした。翌年来航したペリーは「日米和親条約」を結び、日本は「開国」に向かうことになりました。
 それより以前1837年5月遭難漂流し救助された日本人船員3名を日本に送還するため江戸湾に入ったモリソン号は砲撃にあい止む無く退去しました。このことは三浦綾子著小説「海嶺」で触れていますが、1835年3名の船員「岩吉・久吉・音吉」はギュツラフがマカオで完成した最初の日本語訳聖書ヨハネ伝翻訳に貢献しました。
 また、ペリー艦隊の乗り組み員の一人ゴーフルは途中立ち寄った琉球で宣教師ベッテルハイムの聖書翻訳の働きに感銘を受け宣教師となり1871年日本最初のマタイ福音書を出版しました。キリスト教禁制の時代のこのとき一緒に協力したヘボン(ヘボン式ローマ字)とブラウン(英和俗語辞典)がいました。ヘボンとブラウンは1872年マルコとヨハネ福音書を、翌1873年マタイ福音書を木版出版しました。
 思うにペリー来航以来横浜開港をはさんで150年の歴史は喜びと悲しみ、不幸と悲惨と共に多くの人々と出来事を通しさまざまなことを残してくれました。神さまのご計画でありお導きでしょうか。私たちの「今」という時はこうした人々と出来事に無関係な「今」ではないと思います。神さまの時宜の内にあることを感謝して覚えたいと思います。

(牧師 古財克成)

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イザヤ書55:10・11

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 入梅間近となり梅雨空が続いていますが6月7日東京の空は快晴となりました。保谷教会では聖霊降臨後の主日礼拝が神さまの祝福のもと大勢の方々と共に守られました。
 礼拝が始まる直前、私の隣に着席された方がいました。びっくりしました。S姉です。私が札幌教会にいたころ、お隣厚別区の新札幌教会の責任も任せられた時期がありました。
 そのころM兄とS夫人が新札幌教会に見えました。某大学で教鞭をとっておられましたが定年退官後北広島市に住んでおられました。M兄はクラシック音楽を趣味としLP盤の機器を持ち込み観賞の機会を提供してくださいました。また器用な方で庭木の手入れや暖房器具の故障に屋根の補修などご奉仕し助けてくださいました。S夫人は病身でしたが礼拝にご夫妻で出席され、後に月一回の奏楽を担当してくださいました。
 もう十年以上前のことでした。そのS夫人がお隣に着席された時は気がつきませんでした。S夫人はM兄が召天されたあと子女たちの住む東京に住まわれる準備のため東京に滞在され、主日には保谷教会に出席されたのです。以前平岡牧師の説教を聞いて深い感銘を受けたので来ましたとお話してくださいました。
 福音の解き明かしとしてのメッセージは一人ひとりの心に迫り、働きかけ、慰め励まし、きっと必要な力と生きる支えを恵みのうちに示してくださいます。S姉の受けた感銘はきっと信仰の証となって出会う多くの方々にイエス・キリストを指さしてこられたことと思います。保谷教会の交わりは礼拝のメッセージに支えられ生き生きと主の祝福と恵みを証していると思います。

(牧師 古財克成)

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イザヤ書53:5

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 先日電車で「あなたはストレスにつぶされる」と書かれたある雑誌の車内広告が、駅でドアの開閉の度ゆれているのを見ました。広辞苑によるとストレスの原因となる要素は「寒暑・騒音・化学物質など物理化学的なもの、飢餓・感染・過労・睡眠不足など生物学的なもの、精神的緊張・不安・恐怖・興奮など社会的ものなど多様である」とあります。なるほど私たちはストレスの要素に囲まれていると言えそうです。まるで悪魔のささやきのような深刻な「広告」だなと思いました。14日(日)保谷教会では「癒しの礼拝」としてジェームス・サック牧師の司式・説教・祈りによって主日礼拝が守られました。礼拝の中でキャロル・サック宣教師のハープの演奏による祈りの讃美を交え、一同失望や悲嘆にある方の癒し、病の癒し、障害の癒し、医療や介護にあたる方や家族に希望と愛を祈り、戦争や暴力や破壊の終わりを祈り、物理化学的・生物学的・社会的ストレスからの解放を共に祈りました。
 イエスさまは神さまの救いを伝え教えてくださいました。病に苦しむ人々に癒しをもって神さまの福音を告げられました。救われ癒された人々はイエスさまの前でほとんど匿名でした。しかし、イエスさまは一人ひとりを「あなた」として優しく語りかけてくださいました。「何をしてほしいの」と声をかけ「治りたいだろうね」と同情し、寄り添い手を当てて癒し、救いの道を示してくださいました。イエスさまは私たちにも同じように語りかけ救いの道を示し癒しの手を差し伸べておられます。
 イエスさまの救いと癒しの言葉、癒しのみ手の働きは私たちの病を、罪の傷と痛みを共に担い、全てを十字架に引き受け贖ってくださる神さまの愛そのものです。神さまは私たちを招き礼拝を通してイエスさまによる福音の言葉を語り伝え、愛をもって働きかけてくださることを感謝して覚えたいと思います。

(牧師 古財克成)

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イザヤ書53:5

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 21世紀を迎えたころドネラ・メドウス女史の「もし世界を1000人の村にしたら」というレポートが紹介されました。世界銀行やユネスコ、世界子ども白書などの統計資料をもとにした分析です。世界を1000人の村にして見ると身近に世界の現状を一目できると評判でした。このレポートは「世界が100人の村としたら」と言う内容でメールにより広がり本として出版されました。多くの方が手にされ読まれたと思います。童話作家の吉田 浩さんは「日本村100人の仲間たち」としてまとめ学校でも話題がはずんだと聞いています。
 6月19日の国連食料農業機関(FAO)の発表によりますと「栄養不足の状態にある飢餓人口は2009年中に10億2千万になる」という予測を発表しました。「世界のおよそ6人に1人が飢えに苦しんでいるという数字」だとすると恐ろしい現実を見せられる思いです。メドウス女史は「村の中の200人が75%の富を所有し、残り25%の富を800人が分け合い、その内200人は1日1ドルで貧しく生活している」これが地球を1000人の村に例えた時見えてくる現実の一つだと記していますが愕然とします。
 1970年代流行った「かもめのジョナサン」という物語がありました。他人より高く、遠くに飛ぶことを求めて飛び続けるかもめの物語ですが「他人よりも」ということが生きる上での考え方となって「他人をおしのけ、より強く、よりたくましく、高いところを目指す」生き方への問いとも警告とも聞こえる物語です。「この地に慈しみと正義と恵みの業」を行わない傲慢の罪の現実でしょうか。罪は裁かれて然るべきです。
 旧約聖書のエレミヤ書は聖書日課として今毎日読み進んでいるところです。エレミヤは神さまの厳しい裁きについて大胆に語ります。しかし同時に「背信の子らよ、立ち帰れ。わたしは背いたお前たちをいやす」(3:22)という神さまの恵み深いメッセージを伝えています。今聞くべき神さまの大事なメッセージではないでしょうか。

(牧師 古財克成)

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エゼキエル書18:31

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 太平洋戦争の末期沖縄で日本軍による組織的抵抗が終わったのは1945年6月23日でした。「鉄の暴風」と形容される悲惨を極めた3ヶ月間の犠牲者は県民と将兵20万人を越え県民4人に1人を数えています。沖縄本島南端には犠牲者の名前が刻まれた「平和の礎」があります。見学し大きな衝撃を受け「戦争は人が人でなくなるという意味が分かりました」という修学旅行生徒の声を新聞は紹介していました。
 中学の時同級生の宮城君は沖縄で家族を失い、悲しみに耐え親戚の家で戦後が始まりました。しかし半年後家族を奪った沖縄を忘れられず帰っていきました。「沖縄慰霊の日」が来ると宮城君の消息と共に辛い思いが残ります。沖縄県の面積は日本国土の1%にも届きません。しかし、日本国内の米軍専用施設の75%が集中する現状を聞きますと何か異常さを覚えます。
 1963年大森教会に赴任したとき、卒業した小学校の旧友の消息を尋ねてみました。驚いたことには学年の十数名のほかは全員消息不明でした。その時偶然クラスメイトの遠藤君とであいました。おとなしく小柄ですががっちりした体で怪力だった彼はいつも相撲大会の優勝候補でした。一緒に少年倶楽部を読んだり探偵ゴッコなどをして遊んだ仲間でした。私は剣道の対校試合で大きなドジをして敗退し、ひどく先生に叱られたとき遠藤君は同情し慰めてくれました。
 遠藤君のご両親はそのころサイパン島で仕事をしていましたが1944年6月末戦闘中に亡くなったという知らせを受けたそうです。貴重な出会いから10年後の1974年遠藤君は石垣島で事故にあい亡くなったと悔いを残しつつ聞いたのは6月のことでした。「どうして死んでよいだろうか」。福音としての神さまの深い愛の痛みに背負われ支えられるより他はありません。

(牧師 古財克成)

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ヨシュア記7:13

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 教会には年配の方も若い方も共に礼拝を守り、生き生きとした交わりがあります。ご婦人たちの活躍は大きく教会のいろいろな働きの力となり支えとなっています。7月5日の主日礼拝では日本ルーテル社団事務局長として長年勤められ、世界のルーテル諸教会との関係に尽力され、定年を迎えられたF.H.氏の退職祝福式が行われ、お働きを覚え感謝を共にしました。保谷教会の歴史を共に歩み教会活動の奉仕をし、とくに教会学校の働きを今日もなお担っておられます。
 礼拝後婦人会のご奉仕による昼食には木村農園の新鮮なお野菜に共に与り歓談のひとときを持ちました。午後1時からは姉妹の司会により、婦人会と壮年会合同の聖書の学びの時を持ちました。ヨシュア記7章から「明日に備えて自分を聖別せよ」と言う「教訓と内省を迫る」ような一節が今回のテーマで、婦人連盟の聖書研究解説を中心に積極的な質疑と意見が交わされる楽しい学びとなりました。続いて婦人会・壮年会それぞれの例会に移行しなお話題は尽きませんでした。
 ヨシュア記のヨシュアはおよそBC1300年ころ、モーセの指揮によりエジプトを脱出したイスラエルの民の40年の荒れ野漂泊から神さまの約束の地カナンにいたる道程で、モーセの従者として仕え、モーセの後継者となって活躍した人物の名前です。ヨシュアとは「神さまは救い」という意味でギリシャ語読みではイエスといいます。7章はカナン定住にいたる道程の一こまです。
 今回は「徹底」ということを鍵として学びあいました。聖戦と言われる戦争・悔い改めの内省・神の裁きの「徹底」が描きだされているからです。そこに見えるのは滅亡です。しかし徹底し貫き見えて来るのは神の愛の涙であり救いだというメッセージです。それ故、繰り返し神さまのもとに「立ち帰れ」と方向づけをしている神さまのみ声に耳を傾けたいと思います。

(牧師 古財克成)

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エレミヤ書6:16

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 もし大きな鍋いっぱいに作られたカレーの味や成分を調べるとしたら、鍋全体のカレーを調べることはしません。スプーン一匙もあれば分析は可能だからです。よく、アンケート調査なども一部のサンプルを対象にしらべ全体の傾向や内容を調べます。国民の政治や生活意識の動向を知る参考資料もそうです。よく「民意」(広辞苑/人民の意思)と言ったりしますが、先に行われた都議選に際しても支持政党など共通した傾向が見えました。
 しかし。京都大学の佐藤卓巳先生(大衆文化論)は「民意」は「意見」と言うより「好き・嫌い」という基準や、その時々の情緒的気分に近く、主体がなく無責任な曖昧さの問題があると指摘しています。「意見は自分で考え他人と議論を重ね造りあげられる。だから「追従」でなく時間に耐えられる」と言うのですが傾聴すべき言葉だと思います。今日の政治世相といい「民意」的な傾向は身近なところにあるからです。
 私たちにとって第二次世界大戦の終結は、中国の同意を得て米英ソ三国首脳会談による無条件降伏を迫る「ポツダム宣言」を受託した天皇による終戦の詔勅にありました。軍国少年だった私は目標を失い、当時多くの人が思ったように真剣に「努力不足」を悔い「仇討ち」を誓ったものです。しかし、それどころではない戦後の厳しい生活が待っていました。
 1945年7月17日から8月2日にわたるポツダム会議による対日宣言を見たのは数年後のことでした。日本について「無条件降伏以外は滅亡あるのみ」という目をそらすわけにはいかない明確な主旨を見たことは衝撃でした。暑い夏が来ますと小さい時からの数々の楽しく、また苦く、懐かしい思い出の中にブラックホールのように開いた失望と、少なくともそれを踏み出す一歩を聖書に与えられた感謝を覚えます。

(牧師 古財克成)

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箴言9:10

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 保谷教会では7月19日(日)主日礼拝に陣内大蔵牧師(日本キリスト教団東美教会)を迎えて守られました。陣内牧師は関西学院大学神学部在学中にシンガーソングライターとしてデビューされ音楽活動でもよく知られています。午後は日本ルーテル社団の世界のこども支援プロジェクトのチャリテイーコンサートが開催され百人を超える方々と共に音楽とトークに耳を傾けました。このプロジェクトは格差社会の中で生きる世界の子どもたちの支援を趣旨としたものです。プログラムを通して協力できることは感謝でした。
 今年は国際天文年ですが、アポロ11号による月面に人類初の一歩をしるしたのは1969年7月21日のことでした。世界の話題となりましたが、当時教会の事務局で仕事をしていた私は昼のニュースでその成功を知りました。22日はその月により皆既日蝕が最長時間観測されるということでその道筋にあたる悪石島では大変な賑わいのようでした。太陽は月の約400倍の大きさですが地球からの距離は月の約400倍のため見かけの大きさは同じに見えるのも創造の不思議の一つかと報道していました。
 もし神さまの手帳を覗けるとしたら「われわれの知っていることは何万分の一どころか想像もつかないほど少ししか知らない。なぜなら二千年前より千年前、千年前より百年前、百年前より今と、どんどん分からないことが増えているから」と数学者の藤原正彦は謙虚に知らないことが分かると言っていました(世にも美しい数学入門)。人類が月面に立って40年、人工衛星による月面探査も分からないことを捜すようなものかも知れません。
 「主を畏れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは分別の初め(ソロモンの箴言)」とありますが大事な言葉だと思います。「畏れ」とは「敬う・敬意」ということですが自分の位置をそのまま確保しての敬意ではありません。自分の位置はゼロとなっての敬意です。宗教改革者ルターは人として生きる原点として「神を畏れ愛する」ことを教え(小教理問答書)えています。

(牧師 古財克成)

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詩篇16:8~11

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 この夏も集中豪雨が九州北部と中国東海地方を襲い異常な雨量による土石流のため犠牲者がでる痛ましい事故となりました。神学校を卒業して最初の任地は山口県防府の開拓伝道でした。間借りをして集会を始め二年後に仮会堂を与えられた思い出深いところです。その防府市と山口市を結ぶ山沿いの国道が寸断され、市内を流れる佐波川のやや上流で土砂災害は起こりました。今後も予想されるゲリラ豪雨は天災とばかりいえない警告のように聞こえます。
 教会の図書室にもありますが三浦綾子の小説に「海嶺」と言うのがあります。読まれた方も多いと思います。1832年鳥羽港を出て江戸に向かった千石船「宝順丸」が遠州灘で遭難し14ヶ月の漂流後北米西海岸に漂着します。生き残ったのは久吉・音吉・岩吉の3名でした。助けられた3名は日本に送還されるためロンドン経由で途中マカオに寄港、そこで「日本に聖書を」と願う宣教師ギュっツラフと出会います。久吉・音吉・岩吉の3名は聖書の翻訳を手伝い1835年「ヨハネ福音書とヨハネ書簡」が完成しました。
 この聖書は1837年シンガポールで木版印刷出版されました。そしてこの聖書をヘボンが持って日本に来たのは23年後1859年のことでした。三浦綾子はその間の出来事を見事に小説化し「海嶺」に展開しています。聖書が日本語に初めて翻訳されたころのことですが神さまの不思議なみ手のお働きとお導きを感じます。久吉・音吉・岩吉の3名は、その後1837年モリソン号によって日本に向かい、暑い7月30日江戸湾に入りますが砲撃を受け上陸を許されず引き返して行きました。
 三浦綾子は祖国を目前にして祖国の砲撃を受け祖国を離れる船上で「祖国が見捨てても私たちは決して見捨てない方がいる」と祈るように叫ぶ3名の言葉を信仰告白のように記しています。歴史の一こま一こまに自分が捨てられてしまったような言い知れない悲劇が刻まれていることを私たちは知っていますが、わたしたちはそれ以上に決して「見捨てることのない」神のみ手の導きのあることを覚えたいと思います。

(牧師 古財克成)

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マタイによる福音書5:9

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 教会手帳の8月2日(日)は「平和主日」とあり聖書特別日課が組まれています。第二次世界大戦に関わる忘れられない大事な月であるからです。一瞬のうちに悲惨を極め、多くの犠牲者がでた広島(6日)に長崎(9日)の原爆記念日があります。また「大日本帝国」の終結を告げる敗戦を迎えた15日。平和に思いを馳せ、戦争犠牲者を偲び、戦争の世紀といわれた歴史を振り返り真に平和を造り出すことを考えるときだと思います。プラハでオバマ米国大統領の「唯一の核使用国としての道義的責任」に触れ「核兵機のない世界を目指す」という宣言は記憶に新しいことです。

 新聞に自作の紙芝居で戦後シベリヤ抑留の苦難を伝える成田さんが紹介されていました。40枚の絵の終わりに「日本に帰ってうれしかったのは、戦争をしない国になっていたことだった」と話を結んだそうです。考えさせられる戦後64年です。保谷教会では平和日の礼拝で平岡牧師の力強いメッセージに接し、午後は定例の婦人会・壮年会が開催されました。
 北海道の教会で働く機会を与えられたとき、北海道とキリスト教の歴史を辿ってみました。1587年の秀吉による「バテレン追放令」によりキリシタン弾圧が始まり、1614年家康による「禁教令」となりますがその年松前藩に招かれた医師コスタンゾが北海道に渡ったキリシタンを訪ねたのが最初の接点のようです。その後1620年8月5日カルバリヨ神父が松前藩の金鉱で働くキリシタン(1616年頃京都から津軽に追放されたキリシタンが松前藩金鉱に向かう)と最初のミサが守らたと報告されています。カルバリヨ神父は1624年広瀬川の河原で殉教しました。
 暑さと共にさまざまな出来事を思い起こす8月を迎えました。「平和主日」のメッセージが平和を造り出す者の輪を少しづつでも広げ強められるよう祈ってやみません。この日の聖書第一日課には「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げずもはや戦うことを学ばない」とあります。ミカ書4章3節

(牧師 古財克成)

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箴言16:25 23:18

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 日本が戦争に負けることは断じてない。「神風」がふき一気に戦局は転じ勝利すると少年の私は信じていました。しかし、沖縄戦玉砕の報に接した直後転属を前にした教官の口から「戦争は長くは続かない。無意味な行動は慎み、しっかり勉強しろ。今はその時と思へ」という趣旨の言葉を聞かされ戸惑いました。敗戦後に思い出し、慌てず落ち着いて今後の人生に備えるようにという大事な教訓だったと自分なりに理解しました。
 空は青く暑い1945年8月15日でした。正午に重大放送があるということで学校の講堂に集合しました。正面には白い布をかけた机にラジオが置かれています。雑音の多い聞き取りにくい放送は日本の無条件降伏による終戦を告げる天皇の言葉でした。戦局の事実をほとんど知らない私たちは一瞬呆然となり、次には何故、どうして、そして互いに涙し努力不足を悔い嘆き、敵討ちを誓いあいました。このように子どもたちを教育し戦場に駆り立てたのは何だったのか、空恐ろしい限りです。
 この8月16日(日)も暑い一日でした。保谷教会のこの日の主日礼拝はグロリア夫人が補佐をされ石田順朗牧師が担当されました。石田牧師は神学校の時私の二学年先輩で教会活動や勉強の上でいろいろと教えられました。当時「福音新聞」が発行されていましたが学生だった石田牧師は責任者を代行する立場にあり私もその仕事の一端を手伝うこともありました。先月、心臓の機能低下のため入院されていましたが順調に回復され、力強い声で説教され、聖餐を共に守ることが出来て感謝です。
 甲子園では全国高校野球の熱戦が続けられています。ルーテル教会系の九州学院は熊本県の決勝で惜しくも敗れ甲子園出場は叶いませんでした。埼玉県代表となった聖望学園は甲子園出場を果たし期待されましたが一回戦で惜敗、残念ながらルーテル神学校100年を飾ることは出来ませんでした。それにしても1945年8月15日の歴史的転換期を経験した100年の歩みを礎に神さまのお導きにゆだねつつこれからの100年200年への展望に繋げたいと思います。

(牧師 古財克成)

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テサロニケの信徒への手紙一5:16~18

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 新聞にローマのレストランで食事をした日本人の男女が約94,000円も請求され驚いて警察に駆け込んだという話がありました。その直後観光大臣は「お詫びに被害者をローマに招きたい」と発表、150年の歴史あるお店は営業停止の処分となったと聞いてその対処の早さに驚きました。
 7月の新聞で「ヨーロッパ食堂旅行」(野路秩嘉著)のパリの料理店の回想を紹介した記事がありました。ある店で一番安い定食を頼んだ米国人カップルが書置きを残しました。「新婚旅行の食事のうち、ここのが最高でした」。約30年後4人の家族が最高のステーキを注文しシャンパンを何本も空けた。勘定で新婚旅行の思い出に触れたので、もしやと店主はかねて保存の紙片を見せる。夫婦は涙ぐんだという。店と客の交わりはこうありたい(天声人語)。感動が伝わってきるような記事です。
 この記事を読んだときエンデの「モモ」の中の「人間は自分の時間をどうするか自分で決めないといけない」という一節を思い出しました。つまらない時間にするか意味あるものにするかは自分の責任だということです。渡辺和子はアメリカの修道院での体験を「目に見えないけれど大切なもの」の中で次のような言葉を書いています。修道院の広い庭は夏になると雑草が繁りよい作業場となる。毎日の草抜きは面倒くさいと思っていた。そんなとき院長は一本抜くとき、この世から悪の根が一つなくなるように祈りながら作業するように」と話してくださった。
 作業を終えたとき、庭はいつもと同じようにきれいになりました。しかし違っていた。それは修道女たちの過ごした時間の質である。つまらない草取りの時間は意味のある祈りの時間に変えられ人ひとりの「財産」となったと記しています。パリの料理店の店長は客の一人一人に応える意味ある時間を生きたのではでしょうか。意味ある時間とするよう働く力こそ愛ではないかと思います。

(牧師 古財克成)

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ヨハネによる福音書3:16

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 子どもの頃「大人になったら何になるか」と聞かれ、その時代の多くの少年が考えていたように「勇敢な兵士になりたい」と答えたことを覚えています。その道を歩むことが子ども心に生き甲斐だったと思いますが第二次大戦敗戦によりそれは霧散しました。生きていてよかったと思えるようなことを「生き甲斐」と言いいますが広辞苑もそのように定義しています。従って「生き甲斐」をなくすことはとても辛いことですが人生の中では生きる目的をなくしたり奪われて「生き甲斐」をなくすか奪われるような経験は避けられないようにも思います。
 三浦綾子氏は「ここに生き甲斐」という文章の中で「若いときの生き甲斐が大人になって通用しなくなったり、老年には老年の生き甲斐と言うように限定される生き甲斐は本当の生き甲斐ではないと思う。もしそうだとすると、人は生涯のうちに何度も生き甲斐を失うことになる。そうではなくて健康の時にも病める時にも、若い時にも年老いた時にも、たとえ仕事を失っても失恋しても不変のものこそ本当の生き甲斐といえる」と言うことを書いていますがなるほどと思いました。
 「小さな聖書」といわれる言葉が新約聖書の中にあります。ヨハネによる福音書の言葉です。そこには「神は、その独り子をお与えになったほどに、この世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と救い主イエス・キリストの言葉が記されています。これは真の生き甲斐を根底から支えるものではないかと思います。このわたしは神さまに愛されているのです。神さまの目からすれば無きに等しく、愛されるに価しないこのわたしを愛していると言い、しかも「独り子イエス・キリストを与えるまでに愛している」といわれるのです。使徒パウロはこの「キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤの信徒への手紙2:20)と実感を記しています。これは何ものにもまさる力であり励ましです。

(牧師 古財克成)

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ローマの信徒への手紙12:9・10

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 わたしたち人間関係の中で互いの情報の伝達に広義の意味で言葉の果たす役割は大きいと思います。これはコミュニケーションと言う言葉でおなじみですが、ある人は10言っても1しか通じない直線型と、1を聞いて10を知る円形型があり、昔から好まれてきた形は円形型コミュニケーションである。今日では次第に直線型に変わり、うまく話がかみ合わなくなってきたのではないかと言っています。
 例えば「いい車ですね」という褒め言葉に「有難う」と答えるのは直線型で、「ローンで買ったので苦労しています」とこたえるのは円形型。しかし、これは直線型にとっては必要のない無駄な答えなのです。つまり「わたしにとって関係ない」答えであり必要ないことなのです。従ってそこで話は途切れることになります。十人十色の人間関係ですからいろいろな反応や形があって当然ですが発信する側も聞き手となる側も、お互いに気配りはとても大事なことかと思います。
 「兄弟愛をもって、互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい」(ローマの信徒への手紙12:9・10)と使徒パウロは教えています。互いに「相手を認める」ということでしょうか。仲間内や利害得失からではなく隣人として互いに認めあうことは愛なくしてはできないことです。愛は相手のよいところを見ていきます。相手の傷や痛みを包み共に担おうという優しさを生み働きます。尊敬の思いをもって喜びも悲しみも分かち合いたいと思うものだと聖書は語りかけています。
 身近な夫婦・親子・兄弟関係という家族のコミュにケーションの中から互いを認め互いの長所、それは性格や微笑みであったりお料理であったり、器用さや言葉使いであったりいろいろあると思いますが、それらを発見し認めて交わされる日常の生き方を聖書は教え語りかけています。これはわたしたちにとって優しい眼を養う心の教育ということでしょうか。

(牧師 古財克成)

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詩篇71:18

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 「漢語的不思議世界」(岩波書店)に「空巣老人」という言葉があると「天声人語」が紹介していました。穏かではない言葉に聞こえますが「空き巣ねらいの怪老人、でない。独り暮らしのお年寄りのことだという。雛が育って飛び立てば巣は空っぽになる。一人っ子政策の影響などで高齢者だけ残される世帯が増え、かの大家族の国でも社会問題になっているのだという」事情からと思われます。「お年寄りをさいなむ孤独感は、国を問わず影が濃いよう」(天声人語)です。
 老人福祉法で敬老精神と老人福祉への関心向上のため1963年来国民の祝日の一つだった「老人の日」が、1966年「敬老の日」として改称制定され今日大型連休の一つシルバーウイークとして一般化しています。しかし「敬老」精神と老人福祉への関心向上はどうしたのか電話による「振り込め詐欺」に注意するよう町内でも呼びかけがありました。「振り込め詐欺のオレオレに注意」というイラスト入りのポスターは金融機関でよく見かけます。被害にあうお年寄りは多く毎年相当の被害額に上るそうです。
 受話器を通して聞こえてくる「オレオレ、オレだけど」という声につい引き摺られてしまうのは本当の「オレ」がいかに年老いた親に疎遠であるかということの裏返しでもあります。注意を呼びかけるポスターの効果も期待されますが、本当の「オレ」が月に一回でも年老いた親に安否を問いかけて親子のきずなを確かめていれば、被害は激減するのではないかと思います。「お年寄りをさいなむ孤独感」は「オレオレ」と語りかける声の向こうについ息子の姿を重ねてしまうものではないでしょうか。
 保谷教会では20日(日)の主日礼拝は「敬老の日を覚えて」守られました。週報には愛をもって力強く「あなたがどこに行ってもあなたの神、主が共にいる」(ヨシュア記1:9)と語りかける神さまが「わたしはあなたたちの老いる日まで白髪になるまで、背負って行こう」(イザヤ書46:4)と呼びかけ約束されたみ言葉が記され、神さまの憐れみと愛に信頼し、「神さまの御業を来るべき世代に語り伝え」老いを生きて行きましょうと神さまの祝福を祈りました。

(牧師 古財克成)

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マタイによる福音書18:20

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 「仲間はずれにされるのが怖かった」と、言うところの「いじめ」の少年の言葉がありました。仲間はずれにされることは寂しいし嫌なことです。そのことが別の深刻な「仲間はずれ」をつくっていることも怖いことです。少し前のことですがデンマークのカーリンという娘の物語で「他者」という小説をよんで考えさせられたことがありました。フランスの作家ジュリアン・グリーンの作品です。
 第二次大戦下ドイツ軍がデンマークに侵攻したときカーリンはドイツ軍将校を相手に生活を営んでいました。ある日カーリンは海に落ちて亡くなりました。人々は良心の苦悩から自殺したといいましたが、事実は人々からの冷たい仕打ちにあい、追い詰められて海に落とされたのでした。彼女は教会に行きますが告解室も素通りしてしまいます。だれか声をかけ聞いてくれたら彼女の人生は変わったいたかも知れません。
 かつては親しかった町の人々は彼女をうわさし、中傷し、責めることはしても一言の声をかける人はいなかったのです。こうしてカーリンを「他者」として「仲間はずれ」にして追い詰め、追い込み、海に落として殺してしまったのです。そんなことはしてはいないとは言えない自分の姿に唖然とし、カーリンのように傷つきつつ戦い孤独を生きる人々は多いのではないかと深い反省を迫られ思いがします。
 イエス・キリストは心の痛みや傷ついて悲しむ魂の叫びを聞いてくださいます。肩を寄せ合い、二人で、三人で主イエスに祈るなら「わたしもその中にいます」と教えてくださいました。わたしたちの思いや知恵をはるかに超えて神さまは必要なものを、必要なときにきっと備えてくださいます。神さまはきっと私たちに互いに声をかける機会をそなえ、私たちを用いて共に祈る機会を与えてくださいます。

(牧師 古財克成)

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箴言14:12

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 「どんな大きな成功にも神さまは必ず一滴の苦みを添えずにはおきません。それがあなたを損なうことのないように」と傾聴すべき言葉を、スイスの法律家カール・ヒルテイーは著書「眠られぬ夜のために」の10月11日のところに記しています。また[どんな絶望の中にも神さまはどこか道を開けていてくださる」という言葉もありますが「一滴の苦味」は「見直し」といっても良いかもしれません。「見直す」ことのない道程はいつしか思わぬ歪が生まれるものです。
 価値観の多様化が言われるようになって久しいようですが上智大学で教鞭をとっておられたデーケン先生が、かつて人間学の講義のとき、学生たちにある実験をしたというお話を聞きました。自分にとっての「価値」と思われるものを自由に十個書かせ、それに順位をつけてもらいました。その結果ダントツの一位は「愛」でした。あと健康・仕事・家族・お金などが続きました。デーケン先生はそこでダントツの価値だった「愛」のためにどれだけ時間を使ったか書いてもらいました。「父や母に対する思いやり」「他人に対する善意の行動」「諸奉仕活動」などです。そうしたらダントツの価値であった愛は順位を下げてしまったそうです。それが人生の見直しの必要な理由だと教えたそうです。
 見直した結果がその人にとっての価値観ということですがなるほどと思いました。「一滴の苦味」はたとえ一滴であっても苦味であって決して心地よいとはいえないと思います。苦痛をともなうこともあるでしょう。しかしヒルテイーはそこに神さまの愛を見たのです。この私が道を損なうことのないようにという天の配剤と受け止めたのです。見直しの機会として積極的に受け止め修正するとき、闇の中にも開かれていた道が見えて来るでしょう。一滴の苦味を見直しの機会、恵みとして捕らえるよう神さまは導いてくださいます。

(牧師 古財克成)

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詩篇18:17

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 今年はガリレオ・ガリレイが望遠鏡で天体観測をはじめてから400年にあたり「世界天文年2009」とよばれています。数々の天体ショーに加えて1月・4月・8月・に続き10月・11月・12月と流星群が見られるそうです。確かに夜明け前の晴れた星空に見る降り注ぐような流星群は見事です。オリオン星座流星群は10月21日がピークだそうです。
 子どものころ、星は東の夜空から順に現れ西に沈んで行くものと単純に思っていました。ところが理科の先生が「星は北極星を中心に円をえがくように回っている」と写真を手にして教えられ何か不思議な感じがしました。その時先生は「北極星は一点を示し動かないので海を行く船や空を飛ぶ飛行機が自分の位置や進む方向を測ることができます」と聞いてとても感動したことを思い出します。
 ドイツの詩人ゲーテは「星空のように、静かに休みなく歩みなさい。だれしも自らの責任と務めめのまわりを愛をもって歩みなさい」と詠いました。思わず人生の歩みを振り返り責任と務めの周りを愛をもって歩んでいるか、何もかもが悪循環を繰り返すような結果になっていないか深く反省させられる思いがします。昔多くの詩篇を記したダビデ王は激流に飲み込まれるような大きな苦悩と試練の中で神さまに助けを求めて祈りました。
 ダビデ王はその深い闇の中で思いがけない経験を与えられたのです。神さまの手がしっかりととらえて離すことなく、激流の中から自分を引き上げてくださったのです。神さまの愛の手がダビデ王をしっかりと支えていてくださったというのです。これはダビデだけの経験ではありません。キリストによる神さまの愛の手は何時も私たちを捉え導いています。「愛はすべてを完成させるきずなです」(コロサイの信徒への手紙3:13)。

(牧師 古財克成)

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マタイによる福音書10:42

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 名画といわれた邦画や洋画を再放映するテレビ番組がありました。そこで「ベン・ハー」というチャールトン・へストン主演の映画が数日前テレビで放映されました。ローマ帝国支配下のユダヤの様子、剣闘士やガレー船の奴隷の悲惨な姿に戦車競技など見せ場が続きます。小説「ベン・ハー」を学生のころ読んで感動したことを思い出します。
 この小説の著者ウォーレスは、始めキリストを否定する目的でこの小説を書き始めました。しかし、途中で行き詰まりペンは進まず悩み苦しみました。その姿を見た彼の妻が「それなら逆にイエス・キリストを証しする小説にしたらどうか」と促され「ベン・ハー」が完成したといわれます。親友に裏切られ家族は離散し自分は奴隷にされたベン・ハーは憎しみと復讐心が支えとなってそれからの波乱に富んだ人生を生きる物語です。
 彼は奴隷として牽かれて行く途中キリストに出会い、それとは知らずに差し出された一杯の水に生かされ生き延びます。その時心のそこに焼きついたようなキリストの慈しみ深い愛の眼差しに3年後再び出会います。十字架を負い倒れつつゴルゴダの道を行くキリストと出会ったのです。彼は思わず手に掬った水を差し出します。その時あのキリストの慈しみと愛の眼差しに出会うのです。憎しみと復讐を糧に生きてきた彼の心にしみるキリストの眼差しと一杯の水こそ彼に生きる意味を与えるきっかけになったのです。
 生きる力となる「一杯の水」は、ふと注がれる愛の眼差しに、そしてあの一言、あの小さな行動、その微笑がもたらすとも言えます。それは天の配剤です。「人間は細やかな善意だけで動くものではない。わが身はかわいく、世にはせこい敵意や鈍感があふれるが、人は助け合う本能を備えていると信じたい。お互い最も賢いはずの動物に生まれてきたのだから」(10・25天声人語)。

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コロサイの信徒への手紙4:6

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 旧約聖書の箴言には教訓に富んだ言葉がたくさんあります。その一つに「優しい舌は、命の木である」(箴言 15:4)という言葉があります。優しさをもった心と言葉で育てられることは生き生きとした命があるという心に沁みる言葉です。とかく人を傷つける言葉や乱暴な言葉が平気で交わされることの多い人間関係の中で注目すべきことかと思います。
 旧友を訪ねたときテーブルに置かれたお盆に記された言葉に思わず注目しました。須永博士という方の「小さな夢の博覧会」という誌の一節だと伺いました。「あなたの手の平に小さい花びらを一つ、あなたの心に小さな愛を一つ、あなたの人生に小さな夢を一つ、あなたに上げたい私の小さな真心を一つ」という詩です。どこかで耳にした「水は掴めません、二つの手のひらで優しくそっと掬うのです」という言葉を思い出しました。
 使徒パウロはイエス・キリストによって示された神さまの愛に救われ命を与えられた喜びから神さまの愛の優しさを身に沁みて体験した人です。キリストに反抗し続け、信徒たちを迫害してきたパウロに優しく語りかけ、罪を赦し行く手を示すキリストの言葉は愛と命に溢れていました。傷つき悩み苦しむパウロはキリストの十字架の傷に癒され励ましと慰めを与えられたのです。このキリストによる神さまの愛に導かれて生きることの大切さを彼は訴えるように証しました。「快い言葉で語りなさい」と。
 私たちは良い言葉も悪い言葉も同じ一つの口から出てくる矛盾を持っています。傷つき傷つける罪深いものだと言わざるをえません。私たちは罪赦され、癒され、救われる必要があります。キリストの十字架の愛に救われ癒されたパウロは「いつも塩で味付けられた快い言葉で語りなさい」とキリストの愛のみ言葉に重ねるように教えています。「いつも優しい言葉を使うように」(口語訳)ということです。「あなたの手のひらに小さな花びら」を届ける一日一日でありたいですね。

(牧師 古財克成)

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エフェソの信徒への手紙2:14~16

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 「人間の作ったもので、どんな堅固なものであっても壊れないものはない」と東西を分断したベルリンの壁について語ったのは当時西ドイツのワイツゼッカー大統領でした。それから4年後の1989年11月9日東西冷戦の深刻さを物語ってきたベルリンの壁は開放され、市民の手で打ち砕かれ、同年12月の米ソ首脳会談で「冷戦終結」が宣言されました。しかし、20年後の今日、ドイツのメルケル首相は米議会で演説し、米欧で対応の足並みがそろわない地球温暖化問題を「21世紀の壁」と呼んだと新聞の社説で触れていました。
 現代人を「孤独な群集」と表現した学者がいますが三浦綾子の作品に「石の森」というのがあります。豊かさを求めてきた代りに私たちはどこかに「協同・共生」を忘れてきた。孤独な人間の群れは、深い森のように思われる。しかもその森は木の形をしていながらみんな石でできている。ひんやりとした冷たい石と気がつかないけれど見えない壁がお互いを分断しているさまを述べています。そして「本当に生きる」ということは「優しさ」「愛」によって造られるものだといっています。
 宗教が人間の対立の解放者とならない場合には、かえって対立を最も深刻なものにします。
 歴史はこの深刻な対立の悲劇を今なお語り次いでいます。イエス・キリストはこの対立の壁の只中に入ってこられました。人間と人間・神と人間との対立を和解に導くためです。「二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊す」ためです。「折中妥協」ではないのです。キリスト御自身が愛のゆえに肉を裂き血を流し傷つく「十字架による和解」です。
 「隔ての壁」は取り除かれたのです。空の色と不調和な色があるだろうか。山も建物も木も花も人間も電柱も雀も鴉もなんと空の色に調和して美しいことだろう。空の色はすべてのものを受け入れ、すべてのものの本来の美しさを引き出してくれる。言ってみればそれは「愛」と言っていい(三浦綾子「この病をも賜ものとして」)そのことに早く気づきたいと思います。

(牧師 古財克成)

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マルコによる福音書6:34

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 自然に囲まれた小平の中央公園には、けや木や楢などの林に桜や銀杏の並木があり、四季の移り変わりを楽しく見せてくれます。公園は小さな子どもたちのよい遊び場です。おさなごたちが歓声をあげながらどんぐりを集め池の周りを元気よく走る様子は和やかです。おさなごたちは時々母親たちのおしゃべりの輪に来ては離れて仲間と遊んでいます。用事があるわけではありませんが母親のにこやかな眼差しを見ると安心して遊んでいるようです。
 以前ギリシャ正教の司祭高橋保行先生から「ロシアの人々を養ってきた信仰心と「聖なる画像/イコン」についてお話を聞いたことがあります。ギリシャ正教の教会には「聖なる画像/イコン」が壁画や板絵として置かれています。信徒の各家庭にもありますが革命後はイコンの代わりにスターリンやレーニンの肖像をおくよう命じられたそうです。しかし政治家の肖像画がどれだけ精神的安らぎをもたらしてくれるだろうか。ロシアの民衆の底に流れるイコンに代わるものはなかったとお聞きしました。それはキリストの深い愛の眼差しをそこに感じたのでしょう。
 キリストの愛の眼差しは私たちに救いと希望を与えるだけではありません。キリストを知らないと言ったペテロに罪と弱さを教え、神の国に誰が入れるか絶望する人たちに神さまの偉大なみ業を示し、貧しい婦人の捧げものに信仰と生活が結ばれていることを評価され、私たちの悩みや苦しみや痛みも孤独も「安心して行きなさい」と励まし、心からの小さな奉仕をも見逃さず顧みてくださることを教えています。
 イエス・キリストの眼差しは十字架に生命をかけて私たちの罪を贖われ「ここにいますよ」と声をかけてくださる神の愛の眼差しです。「群集を見て」山に登られる救い主イエス・キリストの目は常に私たちを見つめる神の愛の眼差しです。この眼差しの中でこそ私たちは真に生き方を問われているのではないでしょうか。おさなごが「ここにいるよ」という母親の眼差しに安心して広場に遊ぶようにキリストの眼差しの中で主を見上げつつ生きる者でありたいと思います。

(牧師 古財克成)

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旧約聖書列王記上3:9

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 札幌の羊が丘公園には、1877年札幌農学校で教鞭をとり多くの指導者を輩出し貢献したクラーク博士の像が札幌の街を眺望するように指差しています。開拓期から大都市に発展した街に未来への展望を語り「ボーイズビーアンビシャス」の台詞が聞こえて来そうです。しかし私には拓けた街並みの背後に営まれる人々の生きた痛みと汗と労苦の現実を示すクラーク博士の声が来こて来るように思えます。
 三浦綾子はこの丘の名と同じ「羊が丘」という小説を書いています。人を憎んだりさばいたりすることから、人は真に解放されうるか「愛」についてヒロインの人生を通して語りかけ「人はいつ、どこで、自分の生活を断ち切られても、その断面は美しいものでありたい」と告白するように口にしていますが「心の教育云々」ということを耳にする昨今、考えさせられる一言です。生活の断面には表面に見えない心の在り様が刻まれています。
 横山利弘先生(関西学院)の言葉を借りると「心はどこにありますか」と聞きますと、多くの人は胸のあたりを指すかまれに頭を指すようです。「心は見えますか」と言われるとほとんどの人が「見えない」と答えるようです。しかし、心は人の何気ない仕草やちょっとした一言を通してある程度見えると言う経験もあると思います。勿論見間違えもありますが、心は隠しても見えてしまうことがあるのです。心は「知識・感情・意思の総体」と広辞苑にはあります。
 「知識」は判断が確かとなること、「感情」が細やかになること、「意思」が強くなることが心が育つということでしょうか。「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです(コロサイの信徒への手紙3:12・14)。」心の教育の指針を教えられる思いがします。

(牧師 古財克成)

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哀歌3:22

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 繁っていた街路樹の葉が落ち初冬の風が冷たくなってきました。夏は涼しい木陰をつくり、心地よい緑の風を送ってくれましたが今は役目を終え、片隅に肩を寄せ合うようにしています。ご苦労様でしたと口にしながらふとO・ヘンリーの短編小説を思い出しました。クリスマスの時期にはよく読まれる「賢者のおくりもの」も心温まる物語で読者の心をほのぼのとした思いに誘います。その短編の中に「最後の一葉」というのがあります。
 風邪をこじらせ肺炎を患い危険な病状の少女が寝ている部屋の窓から、むかいの家の壁に這う蔦が見えます。少女は次第に少なくなっていく蔦の葉を見ながら残された命の日を数え、最後の一葉に希望を託していました。少女の部屋の階下には25年前から生涯の傑作を残そうという老画家が住んでいました。雪混じりの冷たい風がふく寒い夜、明日は最後の一葉も無くなっていることでしょう。少女は寂しげにその一葉と共に別れる時を感じていました。
 翌日の朝少女は窓から一枚の葉がしっかりと蔓について残っているのを見て生きる勇気が出ました。老画家はどこに出かけたのか梯子を動かし部屋にはランプが点り絵の具が散乱し、部屋の入り口に倒れて亡くなっていたのです。「最後の一葉」はどんなに冷たい風が吹き付けても吹雪いても決して落ちることなく窓から眺める少女に生きる勇気と希望を与え力つけました。最後の一葉は老画家の生涯の傑作となったのです。何かジンとくる作品です。
 繰り返される虚しい戦いの後に廃墟となった街から嘆きの叫び声が木霊する中で朝を迎え「生きている」という感動を歌った一つが旧約聖書の「哀歌」にあります。「神さまの憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる」とあります。互いに安否を問い、交わす挨拶のささやかなひと言の背後に神さまの慈しみと深い愛を覚えたのです。暗く冷たい風が身に滲みる昨今、私たちはなお人生の傑作としての「最後の一葉」を描く機会を恵みとして与えられているのではないでしょうか。

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ルカによる福音書2:14~15

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 クリスマスおめでとうございます。もう街では見るもの聞くものクリスマスとお正月がCMレベルで包んでいます。視覚障害を負う三宮麻由子さんが「一度立ち止まって自然が語る大いなる物語に、心のやり取りに、地球に生きるさまざまな命と会話に一緒に入ってみたかった」と書いてきたエッセイ「そっと耳を澄ませば」に感動しました。
 彼女は梅雨時の雨が、晴れや曇りの日には決して分からない街の様子を細やかに伝えてくれると言って「トタン屋根、雨ざらしの自転車、転がっている空き缶、車にかけたシート、大きな門、そんな街の景色に雨があたり、さまざまな楽器となって普段はまったく見えないし自分から音をたてないそれらの存在を優しく音に翻訳してわたしの耳に伝えてくれる」と心に滲みる言葉で語りかけています。
 最初のクリスマスのことを聖書は記していますが、その時華やかに見える街は人々で混雑し、政治的にも宗教的にも国際的にも不正に包まれ不安と闇が覆っていました。所詮それが世界であり人の世だという諦めと絶望で満ちていました。そのような中で神さまの大事なメッセージを耳にした人たちがいました。野原で羊の群れの番をしていた羊飼いたちです。かれらは華やかな街並みから疎外された者のように羊の群れと共に暗い野原に佇み静かに肩を寄せ合っていました。
 そこに神さまの輝く栄光が照らし大事なメッセージが伝えられたのです。救い主イエス・キリストの降誕を告げる言葉を耳にしたのです。「今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。あなたがたは布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」。そして天使の讃美の大合唱が響いたと聖書は記しています。騒音がつつみ慌しい人の動きと街並みに見るクリスマスツリーやクリスマス音楽の中に神さまの大事なメッセージを聞き逃すことのないようにしたいと思います。

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ヨブ記5:17

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 新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくご指導ご鞭撻のほどお願いいたします。昔年頭の指針にと聞いたお話に「器は入るるものをして己が方円に従わせる。袋は入るるものをして己が方円を必とせず。入るるものに己が方円を従わせる。布の一袋壷中の天地を笑うべし」と言う詩があります。自己中心的な固定した考えや生き方ではなく自由な考えや心をもって生きることの教訓でしょうか。「慎む」に通づる「包む」文化は古くから私たちには「相手への大事な気遣い、思いやり」としても伝えられてきましたが頷けます。
 聖書の中で悪魔の問いは私たちの急所を突く鋭いものがあります。イエス・キリストはパンの問題・奇跡の問題・悪魔の力を借りる問題を悪魔から突きつけられました。信仰深く、家族や財産に恵まれた思い遣りのあるヨブは豊かで幸せな人生を順調に歩んでいました。しかし、悪魔は隙を狙います。信仰深い人生は、ヨブが豊かで幸せだからで、不幸になれば信仰を捨てるだろう。「人は何の利益もなく神を敬うだろうか」と神さまに問いかけます。
 ヨブは一日にして家族も地位も名誉も財産もすべてを失う悲劇に見舞われますが「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主が与え、主が奪う。主の御名はほめたたえられよ」と祈ったのです。そのヨブに追い討ちをかけるようにヨブは健康を奪われ不治の病に臥す身となります。その時にもヨブは神さまを呪ったりしないで「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」と告白しました。しかし、その背後にある心の嘆きと痛みは深刻で極限でした。ヨブは「わたしの生まれた日は消えうせよ」と自分の生まれた日を呪っているのです。どれもが本音だったと思います。
 祈り、呪うヨブの本音は私たちも本音で叫び、呻き呪い祈る言葉でもあると思います。神さまは傷を「包み」「癒し」てくださるという信仰は神さまがヨブの上に与えられたお導きでした。大きな試練の中で成長への足がかりとして神さまの愛の中で進められるものではないでしょうか。不信不安が覆い先が読めない世界情勢の深刻さが悪魔の問いかけのように個人の生活に深く影響するこの時代です。信じて祈り、また呪い呻く者を、真に愛をもって包み癒される神さまの御手を信じ希望を持ってこの年も共に歩みたい。

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コヘレト12:13

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 朝日川柳に「同じ穴むじな列なし出入りする」という一句がありました。すぐ下の「かたえくぼ」欄には「手の内は熟知している自民党」とあり「旧態依然の醜聞で新しい政治の生気がしぼんでいく図は、見るに忍びない(天声人語)」と結ばれていました。何か空しい世相を反映するようで「諸行無常」の響きを感じると同時に歌詞に託して何となく納得し、自分は傍観者の位置に立っているような後味の悪さも残ります。
 聖書日課によりますと、今旧約聖書のコヘレトと言うところを読み進んでいます。昔「伝道の書」と呼ばれていました。コヘレトは「一切は空である」と語り始め、権力を用い、財力を投じ、知識を動員して現実を調べ「見極めた」とは「徹底的に探求した」ということでしょう。しかしそれは空しく「空」であると繰り返しています。「短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福とは何かを誰が知ろう(6:12)」という言葉には課題を突きつけられるような思いです。しかし、いくつかの言葉は人生の示唆に富んだ言葉として覚えられてきました。その中には「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」(12:1・口語訳)と教えた言葉があります。「すべては空しい」という闇を貫いて差し込む一条の光を思わせる言葉です。
 コヘレトとは「集会で語る者」という意味の言葉です。聖書の中で「預言者」は神さまの言葉を預かり人々に伝えるために特別に任用されました。「語る者コヘレト」は何を語るのか。「一切は空しい」と語りはじめるコヘレトは「空しい」ままに終わることを、そのメッセージの内容としてはいません。「神を畏れ、戒めを守れ」これこそ、人間のすべてと結論するのです。空しさの徹底の先に人の思いをはるかに超えて働き、導き語りかける神さまの愛を教えられ伝えたのです。

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列王記上3:9

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 「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」これは米国の神学者ラインホルト・ニーバー(1892~1971)の祈りの言葉として知られています。ニーバーの影響はキリスト教界ばかりでなく広く米国の政治・外交にも及んだそうです。
 この祈りの言葉について「このような人間の不完全性を謙虚に受け止める冷静さと賢明さこそが、まずは保守に要求される基礎的な能力です」と中島岳志(北海道大学大学院准教授/日本政治思想史)は言っていますが「歴代内閣発足時の支持率とその推移を見ると、流動的な気分によって世論が動く熱狂体質」のような危機を感じます。保守とか革新とかを問わず覚えるべき大事な言葉のようです。
 ダビデ王の後を継いで王となったソロモン(BC961~)の統治とその繁栄は目覚しいものがありました。「あらゆる国の民が、ソロモンの知恵をうわさに聞いた全世界の王侯のもとから送られて来て、その知恵に耳を傾けた」(列王記上5:14)と記されています。統治にあたってソロモン王が神さまに祈り求めたものは、権力や国益でも軍事力でもなく、正しい政治のため善悪を判断するため愛をもって民意を聞き分ける知恵でした。一人の人間としての大事な核心であり土台だと思うし、どういうふうに物事を見るかという視座だと思います。
 そのようなソロモン王の統治も限界がありました。流動する時代と環境の中で罪にまみれた悲惨な道程が待っていました。「ソロモンの栄華」の芯には赦しを請うべき深い罪の影があることを聖書は率直に指摘しています。21世紀のゼロ年代のチェンジの声が間違った選択に結びつかないよう(田中秀臣・上武大学教授)神さまの赦しのもと「識別する知恵」を祈り求めたい。

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詩篇40:2~4

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 いつの間にか30年以上過ぎてしまいましたが「津地鎮祭訴訟」がありました。津市の体育館建築に際し、市が主催し玉串料を支出し神式による地鎮祭が行われました。出席した一職員がこれを問題視し憲法の「政教分離」「信教の自由」に違反すると訴訟した裁判です。地域のおかれた環境と関わる問題でもあり関心をもっていました。その最終弁論が最高裁大法廷行われたとき傍聴の機会を与えられ参加したことがあります。そのときの最終判断は「合憲」でた。
 町内会費の一部が神社への寄付になっていること、信者でもないのに神式地鎮祭にでること、お祭りの度に家の前にしめ縄をはられることなど納得できないけど黙認するより他はないという声は初めて赴任した開拓伝道の地域社会で深刻に聞かされたことを思い起こします。去る1月20日北海道砂川市「空知太神社」への市有地無償提供は「違憲」と最高裁判所は判断し、「空知太神社」敷地は管理上「合理的、現実的な手段」を検討するよう札幌高裁に差し戻しました。
 作家の落合恵子さんは「だれにも聞こえなかった。あなたの声は」ではじまる「手を振っているんじゃない。溺れているんだ」というイギリスの詩人スティブィー・スミスの作品にふれ、あなたやわたしの近くでいま「手をふっているひと」はいないか?手を振り返すことが、わたしのたちの返事でいいのか」と(積極的その日暮らし)問うていますが考えさせられます。
 詩篇37は「神賛美の詩」といわれますが詩篇38は「悔い改めの詩篇」と言われ41篇まで「苦難の詩篇」と呼ばれています。裁きという深い淵が口をあけて待っているような痛みと滅びの泥沼に溺れ「心は呻く」ような苦悩が襲う人生です。この言葉を預言者エレミヤは神さまの思いに重ねて、その深い淵も泥沼も神さまがご自分の内に背負い持っているというのです。神さまに信頼をおくということは真に平安を与えられることだと思います。

(牧師 古財克成)

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エゼキエル書34:16

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 「コクワ」というのはハワイ語で「手伝う」という意味の言葉ですが「助ける」「互いに手を差し伸べ合う」「思いやる」という考えを含んでいます。また「オハナ」というハワイ語は「家族」という意味ですが血縁をこえて地域の人たち全部を指す言葉です。このような心から「アロハスピリット」があります。それは「人と人とのつながりで感謝、優しさ、思いやり、分かち合い、尊敬しあい人生をより豊かに心地よくすることで、空気のようにそこにあるもので無いと恐ろしく困るものです」ハワイ大学の津野田幸子先生の言葉です(心の時代)。
 このような「空気・アロハスピリット」をハワイの街並みを歩いていると出会う人々と交わす挨拶に何となく感じます。代表的な世界の観光地のひとつといわれていますが、観光地というだけではなくアロハスピリットの「空気」が訪れた人々の心を和やかに包んでストレスを癒しているのでしょうか。津野田先生は、この頃あまり聞かれない「日本の義理・人情という考えに似たところがある」とも説明しています。
 昔アッシリヤ・バビロン・ペルシャ・ギリシャ・ローマと戦争による帝国統治交代が続きユダヤの人々は精神的支柱を失い信仰も生活も文化も翻弄され危機的でした。エゼキエル(BC593~571)はこのような時代に神さまに召されて神さまの思いを語る言葉を預かり、人々に語り告げました。「わたしの群れは地の全面に散らされ、だれひとり探す者もなく、尋ね求める者もない。それゆえ、牧者たちよ、主の言葉を聞け」「わたし自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする」と言われる神さまの言葉を告げたのです。
 何を信じていいのか激動・激変する環境で居場所を失い不信の闇の中で告げられ聞かれたこの言葉は人々に希望を与えたことでしょう。しかし現実とのズレは大きくどれほどの人々が素直にエゼキエルの告げる言葉に聞いたことか推測することは難しいことではありません。傷ついた心は灰色だったと思います。聖書は人間の不信のゆえに神さまは救いを反故にすることなくお約束を貫かれる真実な方であることを証言しています。エゼキエルは神さまの真実に仕えたのです。今日ほど心の傷を包み癒す神さまの言葉に聞くことの大事な時はないかも知れません。

(牧師 古財克成)

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詩篇147:3

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 「おいと声をかけたが返事がない・・・」で始まる「峠の茶屋」があったといわれる前を通り夏目漱石にひかれ、痛快な思いで「坊ちゃん」を読んだのは中学生のときでした。現実には何も変わらなかったのですが読書好きの級友と周囲の環境を「坊ちゃん」の生き方に重ねて愉快になったことを思い出します。主人公の医師栗原先生は夏目漱石の「草枕」を諳んじるまで読み込んだという「神さまのカルテ」(夏川草介著)は「坊ちゃん」に似た作風で若い医師の診療生活を通して身近に地域医療の課題と実態を伝えています。
 「病むということは、辛くとても孤独なこと」と言った安曇さんは「先生はその孤独を私から取り除いてくださいました。(山々を眺めお花を見てカステラをほおばり)楽しい時間を過ごすことが出来ました」と感謝の言葉を書き残しました。栗原先生は最新の医療の限界を越えて、安曇さんが人として「楽しい時間を過ごし」「孤独」を癒されたことを、厳しい痛みとの戦いの中で感じ取っていたことに「神さまのカルテ」の不思議を痛感されたのだと思います。栗原先生はこれは「足もとの宝」だったと言っています。
 収容所で「あの木がひとりぼっちのわたしの、たったひとりのお友だち」だったという婦人のことをフランクルは「夜と霧」の中でふれていますが村瀬学先生(同志社女子大教授)は「人間の尺度」では測れない「途方もない大きな秘めたたたずまい」を直感し「敬意」の感情をいだいたのではないかと言っています。イエスさまは「野の花」「空の鳥」をご覧と語りかけ、神さまの愛を教えてくださったことを新約聖書は伝えています。
 痛みや悩みが消え去るわけではありません。私たちは愛されているということを知っているとき、いや信じているとき悩みや思い煩うことはなくなるものです。孤独に心傷つき砕かれるような原因はいつでもどこにでもあるし、なくならないものです。しかし、傷つき悩むこのわたしを愛してやまないイエス・キリストによる神さまの愛に心開かれたとき、愛の神さまの優しい手を野の花に、一本の木に感じ、包み癒されることを詩篇のことばは伝えています。

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ローマの信徒への手紙5:2~4

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 妻の似顔絵と「薗生さん、やさしさの根っこでつながているよ。勝彦」とサインされた「やっぱいっしょがええなあ」大野勝彦絵手紙・詩画集は2007年熊本で雄大な阿蘇の景観に囲まれた「風の丘/阿蘇大野勝彦美術館」を訪ねたときの記念のものです。大野さんは1989年7月トラクターにはさまったごみを取ろうとして両手を機械に巻き込まれ左右のひじから先の腕を切断する大事故にあいました。絶望し臥す病室に毎日見舞いに来る子どもたちがニコニコと明るく話しかける姿に、この痛さをなんと思ってるのかと苛立ったそうです。
 妻の似顔絵と「薗生さん、やさしさの根っこでつながているよ。勝彦」とサインされた「やっぱいっしょがええなあ」大野勝彦絵手紙・詩画集は2007年熊本で雄大な阿蘇の景観に囲まれた「風の丘/阿蘇大野勝彦美術館」を訪ねたときの記念のものです。大野さんは1989年7月トラクターにはさまったごみを取ろうとして両手を機械に巻き込まれ左右のひじから先の腕を切断する大事故にあいました。絶望し臥す病室に毎日見舞いに来る子どもたちがニコニコと明るく話しかける姿に、この痛さをなんと思ってるのかと苛立ったそうです。
 残った肘に絵筆を包帯で結び絵を描き字を書くことに取り組み「神は時々私たちに試練を投げかける。だけど後でそれがおおきな気付きとなり、喜びであり、感謝出来るありがたい思いやりと知らされる」と言う大野さんの人柄に胸を打たれます。北海道の遠軽に「家庭学校」という施設があります。そこのチヤペルに「難有」という額がかかっています。これは逆に読むと「有難う」になります。困難は誰もが出会いますが、神から愛されているという心の在り方で困難が感謝の気持ちに変わることを学ぶと聞きました。
 自分が神さまに敵対し反抗し罪を重ねる状態にあった時にも、ご自分を犠牲にして、このわたしを愛してくださったイエス・キリストに、その罪を贖われ救われた感謝と喜びは使徒パウロの人生を大きく変えさせました。このキリストの大きな愛から離させる力はどこにもないのです。苦難さえ誇りとして受け止め希望を生む力だと「難有」の現状を「有難う」へとパウロは造り変えられたのです。大野さんは「乗り切れない試練はない。幸せは気付いたところからはじまる」(ラジオ深夜便)とメッセージを送っています。

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マタイによる福音書11:7

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 「人間はイメージを頼りにして物事を判断する」と言った人がいます。人や色々な集団・行動や思想など「~とは・~というものは」と、それぞれイメージを作り、それを頼りに考えたり行動したりするというのです。なるほど「あの人は~」とか「この町は~」とか「この企業は~」等と自分なりにイメージを作り、格付けをしたり期待や予測をしたりしています。そして時には頷き同調し、時には反論したり、発展させたりしますが時にはそれが厚い壁となってしまうことを知っています。
 茶室の入り口は「にじり口」と言うそうですが「にじり口」というだけあって、両手両膝をつかないと入れない狭いものです。「わしがにじり口を入るとき、わし自身捨てねばならぬものが多いのう」「はい目に見える大小は取り上げることは出来ましても旦那様の腰に帯びている見えぬ刀は誰にも取り上げることは出来ません」(三浦綾子著「千利休とその妻たち」)。謙虚に身をかがめてにじり口を入り、奥行きの空間に静かに茶を味わうという大切な心に迫る言葉です。
 高校生のとき、あるテストに失敗し、何もかもが空しく感じられ落ち込んでいた時、アメリカ人の若い宣教師が「小さな一円玉一つが世界を見えなくするものです。一つの傲慢な思いが本当のあなたの世界を見えなくしていないか」と忠告してくれたことがあります。確かに小さな一円玉を目の前にかざせば視界は遮られ先は見えないし闇に包まれてしまいます。もっと離して視野を広げ、問題の所在を見直すことが大事だと「にじり口」を教えられたような一言でした。
 ある時主イエスは「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か」と人々に問いかけています。真理に向かい対面しながら自分勝手なイメージや一円玉を目の前にして壁を築き、視界を遮るようなことをしている人々への普遍的な問いかけでした。「知恵の正しさは、その働きによって証明される」と主イエスは神さまの示す救いの道を行く救い主のご生涯に注視し従うよう教えられました。

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ルカによる福音書24:6

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 「癒す」ということは「けがや病気を治すこと」という意味ですから、治らない状態で来られた患者さんが「癒されました」と言われたとき私自身違和感を感じていました。と淀川キリスト教病院名誉ホスピス長柏木哲夫先生は約30年前を振り返り言われました。しかし「癒す」という言葉は「長い間、手に入らなかったものを手に入れさせること」と言う意味もあることが分かり、患者さんが自分の「気持ちをわかってもらうこと」が長いこと手に入らなかったとのだいうことに気付いた、と放送で語っていました。(NHK「心の時代」)。
 以前紹介しましたが「病いの人にとって、もっとも辛いことは孤独であることです。先生はその孤独を私から取り除いてくださいました。たとえ病気は治らなくても、生きていることが楽しいと思えることがたくさんあるのだと、教えてくださいました」と綴られた安曇さんが残した手紙を読み、栗原先生は亡くなった安曇さんに「高度医療の及ばない、ただ今の自分にできることことをしただけだ」ということに自分が「癒し」を覚えたと(「神さまのカルテ」夏川草介)書いています。聖書で神さまが「わたしはある」とモーセに自己紹介し「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と復活の主イエスが、ご昇天に際し約束された言葉に私たちは大きな「癒し」を思います。
 週の初めの日の明け方のことでした。神さまは、人が滅びることを見過ごしになさらず、救い主イエス・キリストの十字架の贖いと復活によって、命への道を開き回復してくださいました。その時、死んで葬られた主イエスさまの遺体の処置のため、香料をもって墓を訪れた婦人たちは「あの方は、ここにはおられない。復活なさった」という天使の告げる喜びのメッセージを聞きました。そして救い主イエスさまは、真にいつどこででも共にいてくださるという神の愛の事実に接し「癒され」喜びと感謝に満たされました。主イエスさまのご復活を喜び祝いたいと思います。

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ガラテヤの信徒への手紙3:1

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 「子どもが自由に描いた絵には心のおしゃべりが表れます。子どもたちの描く絵に最近変化が感じられます。たとえば、画面の中に人物や動物などのモチーフをポツンとひとつだけ表現し、背景など描かない子が多いのです。以前は子どもが友だち遊びや集団生活を体験すると、絵の中には複数のモチーフが描かれていたものです。そのような人間関係を感じさせる表現が減少しているのです。子どもの生活にも人との関係から孤立した空疎な環境が拡がっていることを感じさせます。」と末永蒼生は著書「絵が伝える子どもの心とSOS」で書いています。
 以前、幼稚園や保育園の子どもたちと過ごすことが多かった時のことです。「先生これ何の絵か分かる?」と一枚の絵を持ってきた子どもがいました。紙に描かれた絵は赤い点を中心に色々な色の線が無造作に見えるように描かれていました。「何だろう。昨日見た夢のお話かな?」正直、困った私は問いかけるように言いました。「これはね、テレビを消したときの絵だよ。もっと見たかったのに」という言葉が返ってきました。
 なるほどテレビを消したときの残像のゆがみか、残念な思いのつぶやきか描き出されているように見えました。その絵には子どもの体験と「心のおしゃべり」の一つの物語があるのです。その時わたしは何か大事なことを教えられた思いでした。子どもの「心のおしゃべり」をどれだけ聞き逃していたか、そのために子どもの心を孤独にしてきたか考えさせられたからです。そして私たちは人間関係の中でどれだけ互いに心のつぶやきに聞くことに疎かったか反省を迫られた思いでした。
 聖書には大事なことが「示され/描きだされ」ています。それは十字架のイエス・キリストです。使徒パウロはガラテヤのキリスト信徒に宛てた手紙でそのことを指摘しました。そこには「独り子をお与えになったほどに、世を愛され。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るため(ヨハネ福音書3章16節)。」という神さまのメッセージがあるのです。神さまの愛は私たちの心のSOSを聞きイエス・キリストによって福音のメッセージを実現してくださいました。

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ヨハネによる福音書13:10

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 ダビンチの有名な絵に「最後の晩餐」があります。救い主イエス・キリストが十字架につけられる前に弟子たちと囲まれた「過ぎ越祭」の食事です。ヨハネはその時イエスさまが、埃に汚れた弟子たちの足を一人一人洗い拭われたことを記しています。弟子たちは恐縮し、戸惑いました。弟子が師の足を洗うのなら分かりますが、師が弟子の足を洗うとはありえないことだったからです。そして、足だけでなく全身を清くされたいと心からの思いを伝えました。イエスさまは「足だけ洗えばよい」と答え「あなたがたも互いに足を洗い合う」よう教えられました。
 誰もが覚えたい心に滲みる教えであり光景であると思います。このイエスさまの言葉には「癒し」という意味の英語のヒールの語源であるギリシャ語のホロス「全体」という言葉が見られます。鎌田 實先生(諏訪中央病院名誉院長)は「本当の「癒す」ということは語源ホロスにあるように、どこか具合が悪いところだけを治療するのでなく具合の悪いところのある丸ごとの人、あるいはその人と一緒に生活している家族、家族が生活している地域まで見て、本当に癒すということが完成するのかなと思います」と話していました(NHKラジオ深夜便こころの時代)。
 以前寝たきりの夫の介護に生きる老夫人が「私は介護に苦労しているとは少しも思いません。この人が生きていてくれるだけで感謝です」と語る笑顔に感服しました。そして、そこまでに、どれほど厳しい過酷な道程があったかを痛感すると共に、イエスさまの「癒し」が十字架の相のもとに一人一人の人間の全体に目を向け、魂に、あるいは優しさに目を向けた全身の問題であった(ヨハネ福音書7:23)ことを思い、わたしたちはいつどこででも、このイエスさまの眼差しと癒しの中にあることを忘れてはいけないと思いました。

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